カリンの宿(花梨客棧)

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澎湖の西側 ~ 軍事施設跡地を訪ねる

今回は軍事施設跡地編です。

澎湖には(もちろん台湾本島も)、清の時代、日本統治時代、そして中華民国となってからの軍事施設が混在しています。

特に日本統治時代にたくさんの施設が作られ、中華民国がそれらを接収したあとそのまま使った名残で、現存する跡地がかなり多く、整備され観光地化されているところもあります。

以前紹介した外垵餌砲や篤行十村なども日本統治時代に作られたものでした。

今回は、砲台や見張り台などが密集している西嶼の外垵と內垵の軍事史蹟、そしてちょっとした穴場スポットについてもご紹介いたします。

目次

それぞれの位置関係

西嶼の先端部分の崖に位置します。

今回紹介する6つのうち3つは隣り合っていて、上の地図で見ると、西堡壘、東堡壘、西嶼東臺という順に西から東へ分布しています。

※附屬砲台については今回は紹介からはずします。

西嶼東臺

西嶼東臺は1887年に完成した、清の時代に台湾巡撫の劉銘傳が建てさせた砲台です。

清仏戦争により、台湾経営の重要性を改めて感じた清は劉銘傳を台湾に派遣して改革を進めます。
当時澎湖の守りが弱く一時フランスに占領されてしまったことや、台湾海峡における福建と台湾の玄関口としての澎湖の重要さなどを鑑み、澎湖の守りを強くすることが求められました。

1889年に完成した媽宮城(現在の馬公市街地)の築城の経緯もこれによります。

中は要塞のようになっており、砲台置き場や弾薬置き場の跡などがあります。

このような通路が張り巡らされています。
音の反響が半端ないです。

敵艦を監視や砲撃する必要があるため、見晴らしは重要ですね。

入場は無料となっておりますが、修繕のため閉鎖されている場合があるため注意が必要です。

また、明かりがないため夜は行かないほうが良いでしょう。

西嶼東堡壘

こちらの西嶼東堡壘は日本統治時代のものです。

1903年に完成しました。

先の西嶼東臺と同時に海岸防御工事の一環としてまとめていろいろ手が入っているようですので細かくは説明できませんが、かなり広い堡塁となっていて、西側の西嶼西堡壘ともつながっています。

積極的に観光地化されているわけではありませんが、定期的に掃除が入っているため歩けない状態ではありません。

それでも、夏場は植物がかなり元気で鬱蒼としています。

虫よけは必須です。

東堡壘には一か所、入れない場所があります。

実はここは、上の地図を見てもらえるとわかるのですが地下道となっています。

普段は閉ざされているため入ることができませんが、イベントの時や業者が掃除に入るタイミングなど運が良ければ、入ることができます。

地下道を抜けると大砲が置かれています。

この砲台が2台並べられていて、海側にせり出しています。

海上から見ると2つの目のように見えます。

ここも入場無料となっていますが、夜は明かりがないこと、人気の少ないことなどから、日中に行くことをお勧めします。

西嶼西堡壘

さて、更に奥地に進みます。

西嶼西堡壘も日本統治時代の砲台です。

東堡壘に比べると更に鬱蒼としています。

正直1人で行くのはなかなか勇気が要る場所かとも思います。

入口からして不気味ですね~。

勇気を持って一歩前へ。

やはり東堡壘より手が入っていない感じ、じめっとした感じがします。

東の先まで行きつくと、內垵村まで下りられる階段があるのですが、そちらも草や小枝だらけで、間違ってもビーチサンダルなんかでは歩けないような状態です。

そして、東堡壘と西堡壘の間にある場所です。

この東西含めて一帯を東昌營區というのですが、こちらの広場はほぼ中間地点なので、ここにバイクや車を停めて散策してみるのが良いと思います。

トイレもありますので休憩にも良いですよ。

西嶼西臺

西嶼東臺と、東堡壘西堡壘が東側で、この西嶼西臺は西側に位置します。

場所も外垵村から灯台と逆側で、外垵村と內垵村のちょうど中間の中鼻尾という地名の場所に位置します。

以前の外垵の記事に登場する西嶼西台遊客中心がまさにここです。

記事でも紹介しています通り、お金をたかってくるおばさんに気を付けましょう笑

西臺は整備が行き届いており、そのかわりに入場料がかかります。
(2020/10月現在は30元となっています)

中については、西嶼東臺と似ていると言えばそうなのですが、こちらは大砲のレプリカが置かれていて、当時に近い雰囲気を味わうことができます。

西嶼東臺から少し距離がありますが、どちらも行ってみて比べてみるのも良いかと思います。

王屋營區

最後に紹介するのは、內垵のあまり知られていない砲台について。

こちらも、日本統治時代の1904年に完成した砲台です。

上の空撮でもわかるように夏場は草木が鬱蒼と生い茂り、ほぼ荒れ地と化します。
というわけで、夏場に行くには少し躊躇してしまうような感じの場所です。

冬場の少し整備された時期に訪れた時の様子を紹介します。

こちらも山の奥まった場所にひっそりと佇んでいるため、一人で行くには少し勇気が要ると思います。

入場料はもちろんかかりません。

サイズは小さいですが、まさしく廃墟の史蹟という感じで達成感があります。

まるで、小ぶりだけど味が凝縮している台湾のカニのようです。
(この表現伝わりますかね?)

最後に

外垵と內垵の軍事史蹟について紹介させていただきました。

この地域は軍事史蹟がかなり集中していて、戦前の重要な軍事拠点であったことがわかります。

地理的には澎湖の内海に入るための西側の防御地点なんだろうなというのは容易に想像ができますし、やはり清と日本の統治時代のものが混在しているのが興味深いです。

史蹟ファンの皆さん、探検好きな皆さん、そして日本統治時代のものを探しに来られた方も一度見学してみてはいかがでしょうか。